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2011年2月27日 (日)

【代々木八幡DAYS ①】

Yoyogihachiman1

練馬区下井草~東中野~と来て、小田急線の代々木八幡に引っ越したのは84年。2回目の大学3年の夏だった。
1単位だけ残しで留年してしまったので建築の専門学校も行ってて、それなりに忙しく楽しくやってた。
この街には一番長く住んだかな~。足掛け7年住んだ。
渋谷や原宿なら歩いて行けるし、新宿も無理すれば歩いて行けた。(まあ歩いて行く気にはならんが、呑んでカネ無くて歩いて帰ったのは何度もある。)
この街はとても住みやすく、床屋のお姐さんなど地元でのなじみの人も増え、想い出深い町です。

駅前通りのちょっと裏のガード下には青年座の研究所があり、よく竹中直人を見かけた。(実物は精悍でかっこいいです。声がまた良い。)
駅前のトンカツ屋『諏訪』も美味かった。(ここはトンカツもまあまあですが、じつは唐揚げが美味いです。)千代田線の代々木公園駅というのもすぐ近くにあり、代々木公園方面に歩いて行くとあった、『卵と私』というケーキ屋さんも美味しかった。
選挙にオウム真理教が出て、麻原彰晃のカブリ物した信者とオウムシスターズが代々木八幡駅前で踊ってたりしてた。オウムシスターズは冗談抜きに可愛かったですわ。まさか数年後にあんな事件を起こすとは夢にも思わなかったけど。
隣の代々木上原駅もこの頃は再開発前で、まだまだのどかな雰囲気が残っていた。代々木上原方面に抜ける裏道を自転車で行くと、かなりの確立で散歩中の天本英世さんと出くわした。我々仮面ライダー世代には懐かしい、死神博士の人。長身痩躯でいつも黒のロングコートにスカルキャップ。ニヒルなオーラが凄くて、とても声を掛けられる感じではなかったですけどね。

Yoyogihachiman2_2

アパートは現在では井の頭通りの拡張で跡形なくなってるようですが、山手通りと井の頭通りの交差点のすぐ傍の名無しの謎の貸家2F。
車の音がうるさいし、下は弁当屋と雑貨屋。なので東京でも練習台が夜でも叩ける。
ココもボロかったが何年かしたら壊すので改造も可とのことで、壁を緑色に塗装して観葉植物を置き、音楽三昧。
入居した当初は、隣の東大生の部屋がどうも統◎教会のアジトだったらしく(渋谷に行く途中に総本部がある)、酔っ払って夜中に帰ってきたら、珍味の紙袋持った若いオナゴが6,7人階段に座って待っててビックリ。
隣が出るというので、慌てて知り合い各所に電話したら、高校の後輩イトー君が是非とのことで即決。
オレのドラム練習音と車の音がうるさいぞ~と脅かしておいたのですが、彼は学生麻雀大会で優勝するほどの雀鬼だったので無問題!風呂もないアパートに全自動麻雀卓(これも学生麻雀大会の景品)がドーンと置いてあるのはある意味シュールな光景でした。
(副賞のハワイ旅行前日にスッテンテンに負けて、ハワイでも金ないのでホテルから一歩も出ずに麻雀やってたそうです。)

この頃やっていたバンドは、細かくは過去日記
http://yamaneko1214.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post-d205.html
を見てもらうとして、メインにやっていたのはRED CURTAIN~オRIGINAL LOVEでした。

Originaldenntakugakushi1

郡山でジャズ喫茶GARLAND経由で既に田島くんとは知り合いになってて、郡山の日大を卒業して小田原に戻ってきたPFL三橋さんの電卓楽士も一緒にやったりしていた。
電卓楽士の時に、初めてシーケンサーと一緒に演奏するようになり、TAMAのテクスターというエレドラを男の36回払いで買う。これは大活躍した。実はいまだに練習台として使っています。
電卓楽士は三橋さんkb、オハルvo、三橋さんの同僚の岡村さんgにオレが入って神奈川近辺で活動してたのだが、岡村さんが帰郷することになり、折りよく大学入学で上京してきた田島くんg,voが合流したが、田島くんも方向性が違ってきてわりとすぐ脱退し、しばらくして僕も離脱した。
田島くんは自分のデモテープを宅録でいっぱい作ってて、それを一度ライヴで演ってみたいということで、85年秋田島くんvo/g、オリくんb/vo、僕dsで和光大学のイベントで(たしかこのときは『七色スキップ』名義)で演奏した。
オリくんは田島くんの和光大学の同級生で、すでにピッキーピクニック(オリくん+ダテくん+玖保キリコ)というテクノユニットでドイツのATATAKからレコードを出していただけあって、ダテくんともども物凄い宅録ノウハウの持ち主で、2人の同棲(笑)していた駒場のアパートにはオープンリールのMTRとミキサー卓が鎮座し、山のようなレコードが溢れていた。僕なんかはまだまだプレイヤー的な視点しかなかったが、オリくんはそんなわけで、割と最初から俯瞰で物事を見れるというかプロデューサー的な視点のある人だった。

Redcurtainmono

田島くんの宅録デモテープはこの辺りから物凄い事になっていて、ライヴで演るにはもうひとりギターが必要だよねということになって、86年夏前くらいにオリくんが高校の同級生だった村山くんgを連れてきた。
ショートボブの村山くんが沢山のエフェクターと赤いストラトを担いで登場したころ、バンド名がオリくんの提案で「RED CURTAIN」になった。。。。。

>>【代々木八幡DAYS ②】 に続く・・・・・・・

※なにせ昔のことなので、記憶が曖昧なところがあります。時系列的にもしくは事実関係的に「こうじゃなかったっけ?」というご指摘ありましたらコメントお願いします~。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
実は、なんとこんなシロモノがリリースされることになってしまいました(汗)。

Redcurtain

『RED CURTAIN (Original Love early days)』
(WONDRFUL WORLD RECORDS  WWCD-005)

なんとインディーズ時代の1stにRED CURTAIN最初期のライヴテイク(at和光大学。多分4人編成になって2回目のライヴ。)を加えて、さらに九段会館での演奏をDVDで付けてあるという企画。。。。初期衝動というか余りにも突っ走りすぎのレアテイクが収められています。恥ずかしいっちゃ恥ずかしいですが、もう25年も前の演奏ですからな。客観的には見れますが(大汗)。

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