フォト
2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 忘れた頃にやって来た。プレミアの70年代スネア。 | トップページ | ガイガーカウンター。 届きました。 »

2011年6月 4日 (土)

【代々木八幡DAYS ④】

’89年は7日間だけ昭和64年で、1月8日からは「平成元年」になった。
1月末にはインクスティック芝浦ファクトリーで『田島くん祭り』(笑)。
ピチカートとオRIGINAL LOヴで対バンという企画。田島大活躍(というか出づっぱり)。ピチカートのdrは宮田さんでした。
この時にドラムセットを青いパールに買い換えて、それまで使ってたTAMAの白いインペリアルスターは元ロリポップソニック~フリッパーズギターの荒川くんに譲った。

春には設計事務所も辞め、バンド活動にもっと時間を割きたいということで某Vサウンドでバイトを始める。
ここのバイト仲間は元・六人組のg矢野さんジャズギタリストのナベちゃん、キンクス好きのSEIちゃん九州男児・松鶴くんはじめユニーク過ぎるキャラ揃い。
ロッテンハッツ~グレート3の片寄くんは僕の後に入れ違いで入った。)
加えてM月さんH川さんはじめ上司も強力におかしな人揃いで、人生の中でサイコーにカネ無かったけどサイコーに面白い日々でした。
世間はバブル真っ盛りだというのに、バブルのバの字も無かったよ(苦笑)
しかしいまだにこの頃の人たちと付き合いがあるのだからねえ。

そんな中でもオRIGINAL LOVEのライヴを多数こなしていた。
が閉塞した状況は相変わらずで、先行き不透明な生活は続き、不摂生な生活の上に力任せなドラミングばかりしていたためか、腰を痛めてドラマー生活どころか日常生活にも支障が出るようになる。
音楽的にも、なんか違うな~という疑問を持ちつつ色んなところに顔を出して、次の展開を模索していた時期でした。
88年後半からかMIDORIや89年からJAZZBONESにも参加していた。
MIDORIも元々は村山くん人脈で、クロコダイルで対バンした時にサウンドチェックでで叩いてと頼まれ、そのまま加入してしまった。
メンバーは伊藤真澄vo,kb、伊藤善之g、下岡千香vln、坂本弘道cello、加藤英樹→渡辺修也b、宮腰浩基saxに僕ds、perc
 ウチコミと一緒の演奏では自分のドラムの欠点が露骨に浮き彫りになり、リーダーのMC500の鬼こと伊藤善之くん(現・ランティスレコード副社長)や伊藤真澄ちゃん(もはやアニソン界では巨匠ですな)にはかなり鍛えられた。
メトロノームでの練習を地道に続けていった結果、最終的には
「秋山君、ケツにMIDIケーブル刺さってないか?」
と言われる位にはなったが、彼らは僕の良い所(発想であったりイキオイであったりとか)も買ってくれてて、それはある意味すごく自信になりました。
JAZZBONESはvoの久野恒くんは前身のメロディベースをテイ・トウワとやっていたり小玉和文tpさんに私淑してたりで武蔵美周辺のレゲエな人脈の中でキーパーソン的な人物だった。こっちは90年頭までやってた。ベースの小池太郎くんはカリスマ整体師として活躍中。他のメンバーもリトルテンポ他で活躍中。

Akiyamainkstick88

オRIGINAL LOVEは、元ペイズリーブルーの2人(真城めぐみ、栗原晴美)サックスの宮腰浩基asくんを準レギュラーに加えた編成で、この頃になると六本木インクスティックが活動の中心になっていた。
ジャージーな面とパンキッシュな面、そしてキャンプな側面がない混ぜになったかなりユニークな音楽を奏でていたように思う。
が、結局89年いっぱいでオRIGINAL LOVEのほうは離脱。腰痛暗黒期がしばらく続く。
ドラムどころか、マジで歩けなくなるかと思った
もんね。

MIDORIではCMやVシネなどのレコーディング仕事などもやりつつ、少しづつデモの録音を始め、いわゆるバンド物ではないレコーディングの面白さに目覚める。
千駄ヶ谷の某有名スタジオでディレクター研修という名目で夜中に録音したり、セッションシンガーSさんのプライベートスタジオを好意でお借りして録音したり、バラ録りやマイキングでの音作りなどいろんなアイデアを出し合って実験をしていた。

Midoriaurai

さらに自分でも男の24回払いでサンプラーを買い、どんどん電化していく。
ライヴ時には生セットにエレドラやらサンプラーやら混合してセットが要塞化。搬入搬出だけで死にそうにw)。
数年後に若くして亡くなるが小出英一郎くん(ミニコミ『英国音楽』をやっていた小出亜佐子さんの弟だった)にはアシスタントをやってもらって世話になったな~。
この頃録リ貯めていた音源の殆どは、’90年に『AURAI』としてSwitchからリリースされることになります。

また、影の踊り人・坂本宰danceに坂本弘道cello、僕percが即興演奏で音楽を付けて中野テレプシコールでやった公演は面白かった。
宮腰くんsaxと一緒にメトロファルスのライオンメリィkbさんのセッションにも誘ってもらうようになり、メリィさんのソロアルバム「ドンキホーテの従者」に参加したりもする。

そんなある日、元シネマの一色進さんから突然電話が掛かってきて、TIGHTSに引っ張り込まれる。
なにせ百戦錬磨の人達ですからそれはもうキンチョーしたもんです。最初だけですが(笑)。
最初のラママのライヴには僕一人で重鎮の皆様とやるのも怖いのでCASE OF CYTHERIAの中尾拓史くんkbも誘った。
仕事の関係で中尾くんが続けられなくなって、TIGHTS一色進vo/g、元スクリーンの宮崎裕二g/vo、メトロファルスのギタリスト光永巌b/voに僕dsで活動する事に。
それまで僕を呼んでくれる人は大抵
『アイツ呼べばなんか変わった面白いパターン叩いてくれるだろ』
という人が多かったはずだが、一色さんに出会ってなければずっとドシャメシャなドラマーのままだったかも。ある意味恩人です。
一色さんは抱腹絶倒に可笑しい人
で、ON/OFFステージともに散々笑かしてもらいました。光永さんはメトロではギターですが、ベースの腕も素晴らしくて、このバンドも勉強になりました。ベースがラストショーの河合徹三さんになって中野D児&Let’sGosってのもやってた。オレは骸骨Tシャツ着てたなあ。。。

Midorivortexsymphony

 

そうこうしてる内に、代々木八幡の部屋は井の頭通りの拡張に引っ掛かって取り壊されることになり、足掛け7年住んだ代々木八幡を後にしてよみうりランドの風呂付きの部屋に引っ越す。
テイチクからMIDORIの2枚目の『VOLTEX SYMPHONY』をリリース。(ディレクターは元・有頂天のベース久保さんでした。)このアルバムではセットで叩くことは殆どしなかったけれど、色んな録音のアイデアを試せた。MIDORIの2枚はいまでもお気に入りです。

Blnagoyautiage1

MIDORIの活動が落着いてきた頃、旧知のBL.WALTZ松岡モトキg/voくんからBLワルツのサポートで叩いてくれないかとの要請がある。
小西昭次郎くんdsが一時期脱退していてサポート参加するも、横浜ビブレでライヴ後に階段でコケて足を骨折。
とりあえずライヴの予定が入っていたので、元ブルートニック、Theスリルの田中ゲンショウくんや当時キングビーズ・現COUCHの小島徹也くんがサポートのサポートドラムで来てくれた。
パーカッションに廻ったら、観る人観る人、
『秋山ちゃん、パーカッションのほうが全然いいじゃん!』
と言われ
(喜んで良いのかよく判らんけど)、調子こいてパーカッションも始めるようになる。
BLではそのままパーカッションで活動。今でこそプロデューサーとして大活躍の松岡くんですが、この時期はいちばんシンドい時期だったはず。
僕もサポートでしたがメンバーと同じスタンスで関わらせてもらいました。ある意味戦友です。
(写真はBLツアーのウチアゲ。なぜか別の仕事で名古屋に来ていたライオンメリィkbさんと合流。)

Getcult

足が治った頃に、TIGHTSの『GET CULT』を録音。
ドラムは経堂のスタジオで、高熱を発していたにもかかわらず一晩で録ったのを憶えてる。と言うか熱で朦朧として後半何やったか記憶がないw)。
他のパートの録音は羽田の湾岸スタジオ(鈴木慶一・博文さん実家)に通って録音した。
僕の結婚式では、このアルバムに入ってる「Daylight」を一色さんが唄ってくれた。
東京時代終盤は、TIGHTSとBLワルツを並行で活動していました。

タイツのツアーとBLのツアーが重なり、オレだけ名古屋大阪間を往復したりこの時期は充実していたな~。
そして92年頭には諸々あり、郡山に戻る事となります。。。。。。。

(震災ですっかり延び延びになって忘れてました『代々木八幡DAYS』 、これにて完了です。【代々木八幡DAYS①】 【代々木八幡DAYS②【代々木八幡DAYS③】も併せてどうぞ。)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

Tajima

で、その田島くん、震災見舞いに来てくれました~。サンクス!
ウチの双子にまで「仮面ライダー1号の人に似てる」と言われてた(笑)。

ジャケットの中と外でAfter25years。

5年ぶりの新作『白熱』のマスタリングを完了して一昨日くらいに工場に送ったそう。今回は全演奏、エンジニアリング、マスタリングまで全て自分でやったとのこと。去年スタジオに遊びに行った時、彼のスタジオのシステムだと上下左右の音像定位だけでなく前後左右の遠近感まで解るのにはビックリしたが、この布石だったのね。配線関係も総入替えしたり、ひとりソウルショーの毎日一人ゲネプロ等で中断したりで難産だったらしい。
新作は7/27発売の予定です!

そういえば、このCD↓も正式発売から10日余りで大震災が来たんだった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
タイムマシンに乗って25年前からやって来た謎のニューウェーブバンドRed Curtainのデビューアルバム!(田島貴男・談)

Redcurtain

『RED CURTAIN (Original Love early days)』
(WONDRFUL WORLD RECORDS  WWCD-005)

なんとインディーズ時代の1stにRED CURTAIN最初期のライヴテイク(86年at和光大学。多分4人編成になって2回目のライヴ。)を加えて、さらに九段会館での演奏をDVDで付けてあるとい う企画。。。。初期衝動というか余りにも突っ走りすぎのレアテイクが収められています。恥ずかしいっちゃ恥ずかしいですが、もう25年も前の演奏ですから な。客観的には見れますが(大汗)。本文にも書きましたが、田島貴男本人によりリマスタリングされて遠近感のある太い音質になっております。

« 忘れた頃にやって来た。プレミアの70年代スネア。 | トップページ | ガイガーカウンター。 届きました。 »

コメント

ブログ楽しみにしています!
田島さんの震災見舞いのお話、こころ温まりました^^

ナルコさん>
前から、録音終わったら早くに亡くなった友人の墓参りにも行きたいと言ってたのです。(実家もお父さん仕事引退に伴い郡山を引き払っているので、以前ほどは郡山に来れないので)
昔から出てたライヴハウスのママにも会えたようです。
http://diary.originallove.lolipop.jp/?eid=736
ま、書けない話も多々あるんだけど。そのうちまた思い出したらこぼれ話的なものを書くかも。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/133565/40262682

この記事へのトラックバック一覧です: 【代々木八幡DAYS ④】:

« 忘れた頃にやって来た。プレミアの70年代スネア。 | トップページ | ガイガーカウンター。 届きました。 »