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2012年3月26日 (月)

那須高原で演奏。

土曜日は那須高原でAvi&Friendsavi vo/佐藤紳平kb/Pionb/Aきやま@山猫軒dr)で演奏でした。

ここんとこドラム椅子がキシみ音するようになってきて、ボルト締めなおしてもイマイチで、買い換え検討中だったんですが、演奏に向かう途中でドラムイスを積み忘れた事に気付いてcoldsweats02仕方なく近場のハ●ドオフで中古のヤマハのイスを購入。
帰ってからシートを付け替えてみたら、キシんでいたのはシートではなくスタンド部分の方だったことが判明。(TAMAのサドル型のイスで、腰痛絶頂期の15年前くらいに買ってほぼ毎日使ってたんで、十分モトは取ったんですが。)
やはり腰悪いんでイスにはこだわりたい。ヤマハの脚部分がとても安定感あって良くて、これにTAMAのサドル型シートを載せ換えて使う事になりそうです。

今回、ベースのPionことマサミさんの北関東コネクションで演奏させていただいたのは、那須高原の森の中にある素敵なレストラン
【 Restaurant きたざき 】 
http://www.kitazaki.jp/
さんでした。

Kitazaki

オーナーシェフさんは、都内有名ホテルで料理の腕を磨く傍ら、夜は赤坂ラテンクォーターなどでコンガを叩き、その後世界各地を巡って料理を究めたという経歴の方。那須のご自宅にお店を開いて2年ほどになるそうです。
マカナイで夕食も戴いたのですが、これがね~、もう感動的な美味で気分もUPupしまくりですよ。出演者ではなく、お客で食べまくりたいwww。
お店に入るなり目に飛び込んできたのは、LPのジョバンニ・イダルゴモデルのコンガTIMBA社のボンゴ。どちらも、軽く触っただけで相当の使い手がチューンしているであろう事が瞬時に判るナイスな楽器でした。

お客さんも沢山入っていただいて(何組かは入りきれずにお帰りいただいたそうです。すみません~。)、非常に盛り上がりました。
もちろんオーナーさんにも何曲かパーカッションで入っていただきましたが、特に打ち合わせもなくバッチリ合わせてこられるあたり流石です。notes
我々もとても気持ちよく演奏させていただきました。
アンコールもいただき、ありがとうございました。

Artstarset2

ステージにしたスペースもそんなに大きくなかったので、今回もTAMAアートスターのミニセットを持ち込みました。
イスと一緒に、床に敷くドラムマットも積み忘れたので、車のフロアシートを外して敷いて逃げ切るw。ミニバン(エスティマ)はこんな時も便利ですわ。
スネアはプレミア#2000のアルミシェル。これは唄伴には持って来いのスネアです。小音量でもスナッピーの食い付が良くて、クリヤに音が出る(それでもかなり抑え目に叩きましたが)。もしかするとこういうシチュエーションの時はプレミアの12インチ木胴スネアのほうが良かったかも知れない。
場所の下見ができない時はスネアだけでも2パターンくらい持って来ておくといいかも。

来月4/28(土)も北関東コネクションで、大田原市・【Crews Of Diner】さんで演奏の予定です^^。
http://www.nas.ne.jp/nasdb/diner/index.shtml

2012年3月18日 (日)

レアものスティックを大量ゲット。

先週上京した時に、ハマグチ君gから大学時代にやってたバンド・DIETSの83年法政祭の野外ステージでの演奏をDVDに落としたものを貰った。

Diets83_2

技術的にも音楽的にも未熟そのものだけど(なにせメインコンポーザーがオレww。ウチダ君kbには楽曲を形にするのに本当に助けてもらった。)、忘れかけていたものがここにはある。というとカッコよすぎるかな。昔のオレ、レギュラーグリップでめちゃくちゃ手速いなー。女にはオクテだったんだがww。 ハマグチ君gもギター絶頂期やねコレ。
ゴトーさんbもクールなのに最後ブチ切れてベース叩き付けてカッコいいwww。この頃フルートの高橋さっちんにダイエッツやる交換条件で早稲田のラテン研の手伝いに行ってラテンの手ほどきされたのは、じつは後でものすごく役に立った。

102h_3

で、この当時にも使っていた20年ちょっと前に廃番になったパールの旧つのだ☆ひろモデルのスティック102Hがヤフオクで大量に出品されていたので(と言っても約10セット)ゲット! やったー。これが廃番になったおかげでどれだけスティック探しにムダ金を使ったことか。
φ14mm、長さ389mmという絶妙なサイズ。径はカタログ上は14mmですが実際は14.25~14.5mmくらいある。(最近の主流は俵型チップでφ14~15mm、長さ405mmてのが多い)三角チップを更に極端にしたトンガリチップ。長さの割りにネックが太くショルダー部分まで使えるのでパワーも入ります。音色もいろいろ出せるし、コントラールブルかつダイナミックレンジが広い。

102h1

現行のつのだ☆ひろモデル118Mもバランスの良いスティックで愛用してるんだけど、僕の体格だとちょっと重いし長い。
(写真②参照。上から最近の標準的なサイズと思われるデニチェンモデル。真中が旧つのひろ102H、下が現行つのひろ108M)
現行品で唯一近いバランスのものは、VicFirthのJojoMayerモデルくらいかな。

20年前に郡山に帰ってきたとき、十字屋楽器に1ダースくらいあったんで全部即買いした。それ以来だから20年ぶりのデッドストック!おそらく、箱ごと現存してる新品未使用の102Hにはもうお目に掛かれないのではと思います。 手持ち分合わせて20セットくらいはあるから、これでしばらく安心か。
いよいよコレを使い果たしたら、TAMAのH2145Pのチップを削って長さも15mmほど詰めるとほぼ同じものができそう。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

で、早速コレも使ってライヴです。
ベースのマサミさんの北関東コネクションにより3,4月と栃木でAvi & Her Friends で。

3/24(土)pm7:00~
那須 Restaurant きたざき 
http://www.kitazaki.jp/

4/28(土)
大田原市 某アメリカンバー

2012年3月12日 (月)

あれから1年。

土日はメーカー講習会等あり久々に上京してました。
夜は震災時に心配してくれてた大学時代のサークル・作詞作曲同好会の同期や先輩後輩10人程で呑み会。

「ダ橋のニュー浅草はどうよ?」と言ったら「30年前の店がそのままあるわけねえだろー。」ってことで同期の出世頭・ハマグチ君に神楽坂のお店を押えてもらいました。大学が飯田橋だったので、この辺ではよく呑んじゃクダ巻いてました。ちょっと時間があったので、軽くハマグチ君とスタジオに入り、小一時間セッションの後神楽坂へ。

メンバーは部長のオレ、副部長サンペー君、会計K家君に、ハマグチ君、エビサワ君、川島ウタマロ君、本田カンクロー君にオレの一個前の部長S根さん、そのもう一個上のS根(義)先輩、前夜連絡くれて急遽参戦となった黒ばらのたいこ後輩。ドラマーが半数以上www。
今回は卒業以来消息不明だったカンクロー(仇名・単純に顔が勘九郎ぽいんで)が登場。もう50にもなろうというのに能天気な芸風は相変わらずで大笑いww。(当時のカンクローのバンド・三幻色はカンクローg/ウタマロb/エビdというのが今考えるとまるっきり歌舞伎の世界で凄いw。)体壊してたウタマロも復活してて嬉しかった。

あれから30年近く経ち皆それぞれにオッサンになってみると、当時のいろんなことに「あっ、アレ実はそうだったのか!」とか「お前からはそう見えてたのか~。ごめんよ~。」みたいな事がいろいろあり、当時のいろんな事に対する各々の色んな思いも客観的にわかる。

実に楽しい夜でした。トシ取るのもそれはそれで悪くない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、3/11は大震災からちょうど1年。
それに向けて、これでもかとばかりに特集番組が流されるのには正直閉口してる。
あの時は気も張ってたので映像を見れたが、いまは精神的にキツくて見れない。特に津波映像。
感動モノにしようとする演出も嫌だし、福島に限って言えば放射能には郷土愛でも根性でもやる気でも勝てない。そこをすっ飛ばして『頑張っぺ』ってのは筋違いだと思うけどな?。これだけは「臭い物に蓋」では片付けられない。根本的に原発も収束してないのに「放射能に負けねえぜ!」「お国のためにみんなで除染」的な論調に持っていこうとするのが見えて非常にイヤだ。
この1年目というのをピリオドってことにしちゃってはいかんよね。(ピリオドにしたがってるのは東電と政府だけだね。)
1年経っても、ここ郡山では相変わらずベクれてる日常があるわけで。

Ochanomizu1

とりあえず2:46分には静かに黙祷。

東京の街を色んな事をつらつら考えながらを歩いてると、なんでもない日常がいかに幸せな事だったのか、と思いますよ。。。。って、オレは虎舞流かっw!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

郡山に帰って来たら、ちょっと前の日記で書いた例の反原発集会のデモで機動隊も出て車メチャ込み。
やっぱりこの日に郡山まで来て反原発集会は、空気読めてないと思うなあ。
・・・誰に向かって大声を上げてるのか?
行進する所間違ってるよ。。。。

2012年3月 8日 (木)

キーフ・ハートレー 『ブリックヤード・ブルース』

Keefhartleydrums

数日前、ネット知合いの方のツイートでキーフ・ハートレーdsが昨年暮れに67歳で亡くなっていたのを知りました。
で、久々にこの本『ブリックヤード・ブルース』を引っ張り出してきました。
現在、キーフ・ハートレー(Keef Hartley)と言っても、英国ロックのマニアでない限りほとんどの人が「誰ソレ?」状態でしょうが、60’s~70’s前半にかけてブリティッシュブルース~ロック界では名ドラマーとして広く認知されておりました。

Johnmayallbluesbreakers68450_2

リバプールでマージービート系のバンドを渡り歩いた後、Artwoods(ロン・ウッドの兄のアートのバンド。ここではのちD・パープルのジョン・ロードkbも一緒だった。)に参加、そこからブリティッシュ・ブルースロックの立役者ジョン・メイオール(若い人にはDJ/ミュージシャンののギャズ・メイオールの親父という認識かな)のブルース・ブレイカーズに参加。(当時ブルース・ブレイカーズは若手の有能なバンドマンの登龍門でした。ギターだけでもエリック・クラプトン、ピーター・グリーン、ミック・テイラー(のちストーンズ。キーフのルームメイトでもあった。)、ハーヴィー・マンデル(のちキャンド・ヒート)らを輩出し、『ジョン・メイオール学校』とも呼ばれていました。 )

Keefhartleyhalfbreed

キーフはここで数年を経て(たぶん最長期間在籍したドラマーだったと思う)、自己のバンド『KEEF HARTLEY BAND』を結成します。ミラー・アンダーソンvo、ゲイリー・セインb(のちユーライア・ヒープ)らと組んだこのバンドでキーフはブリティッシュ・ブルース~ジャズロックの最前線に躍り出ます。
このバンドはそこそこの成功を収め、なんとウッドストックフェスティバルにも出演します。バンド解散後、再びミラー・アンダーソンと組んだドッグ・ソルジャーも短命に終わり、キーフは表舞台から姿を消していきます。

Keefhartleybrickyardblues

メイオールのバンドに出戻ったりして細々と活動していた70年代、ドラム仲間のジョン・ハイズマン(コロシアム~テンペスト)とはよく電話で「何をやっても上手くいかねえ。」と愚痴り合ってたようです。ハイズマンはPA会社やスタジオ経営をしたり、プレイヤーとしてもずっと現役で来ていますが、キーフが80年代以降何をやってたのかは定かではありません。ほぼ引退状態だったようですが。。。
90年代に入って、本の共著者のイアン・サウスワースのレコード店に普通の人ではまず持ってないような貴重なブツ(リバプール時代にリンゴ・スターからキーフに受け継がれたステージ衣装ほか)を大量売却に現れた事から、イアンはこのオッサンから聞いた話を自伝仕立てにして出版する事になります。それがこの本(前置き長くてすんません)
ブリックヤード・ブルース
(キーフとイアンの共著で日本語訳は中山義雄氏。この人は僕のバイトしていた某V社の兄弟会社・渋谷のレコ屋・芽瑠璃堂の店長さんだった人です。音楽全般めっちゃ詳しい。元々イアン・サウスワースともマニア繋がりで交流があった模様。)
中山さんによる邦訳も殿山泰司ぽい口調で、叩き上げのキーフらしさを出しています。惜しむらくは既に絶版ですが、まだ古本で手に入ると思います。

別にヒット曲があるわけでもない渡り鳥ドラマーの回想録ですが、これが実に面白いのよ~。
まさにブリティッシュロックの歴史の最重要部の一本裏の道を駆け抜けたバンドマン人生
ですから、それはもう貴重な話満載。
ブリティッシュロックが好きな人ならぜったい楽しめます。
ビートルズとの共演話(まだ不良っぽさが残ってた頃ね。)やビート系のバンドから本格的にブルースを追求しだし、自分のバンドを組んでオリジナルに昇華させていく話。
また、KEEF HARTLEY BAND結成時にジョン・メイオールが「出世払いでいいぜ。」とPA機器代をポンと貸してくれ、バンド運営の秘訣をレクチャーしてくれるくだりはチョットいい話。

2keefhartley

せっかくウッドストックに出たのに、マネージャーが欲をかいてギャラを吹っ掛けたおかげで、ウッドストックの映画にもレコードにも登場していませんが、これらに記録されていれば、その後の評価も少しは変わっていたかもしれません。少なくともクラブサーキットを廻る懐かし系バンドマンとして活動を続ける事くらいはできたのかもしれません。
そんな男の一代記、一読の価値はあると思います。

2012年3月 2日 (金)

町内の除染作業。そして反原発?。

こないだの日曜日は町内の除染作業。
前日の酒がちょっと残ってて、ちかれた。

Gakkougc

自宅周辺は、空間線量1mでだいたい0.5~6μSVって感じかな。側溝の上で0.8とか1ちょっととかあるのが、まあやったその時だけは0.3μSV程度は線量下がるのだが、それでもやらんよりマシ。
ホントは側溝内の汚泥を何とかしたいが、これはもうトウシロが手を付けれないレベルにべクれてるので保留。
(産廃業者も保管場所がないので持ってってくれない。汚泥で東電福一を埋めちまえバーロー!
スコップ部隊が路肩の雪を取って汚水マスに入れ、高圧洗浄機が融けた雪と汚泥を洗った後を追いかけて、デッキブラシ部隊が側溝に流し込む。少しやったらもう一度洗浄機で流す。
ま、除染ではなく移染ですがね。
とりあえずこうするしかない。

今回は子供達の通学路を重点的に。
やはり路肩の部分の泥が溜まる所は、道路中央に比べて若干高い。汚水マスの上はもっと高いし、泥が溜まった日当りの悪いところでコケが生えてるようなところは、平気で近接10cmで2~4μSVくらいあったりする。
集団登校の集合場所とか(車道からちょっと入ったところに多い)が意外にべクれてるんですわ。そういうところのコケとか汚泥をまず重点的に取り除いて洗浄。

洗浄機を運ぶのにウチの軽トラを供出したので、町内会長さんと道すがらいろいろ話したのだが、
『除染としては効果が無いのはわかってる。無駄だろって言って作業に出てこない人もいるけど、少しづつでも出来るとこからやらないとどうにもならない。私らはもうトシだからいいけど、孫や子供達が少しでも安心できるようにしていかなきゃならない。』
昨年暮れに県が行った除染講習会に行ったのだが、大体が業者関係、1割程度が町内会関係の人だった。
県の林業課の若造が何の方策もなく「カネ出すからアンタら山も除染してくださいな。」とまるで他人事なタワケを抜かしてるのに
「福島に生まれたのが不運と思って人柱になれって事かよannoy?」と噛み付いていたのはこの土地でずっと生きてきた町内会代表で来たと思しき方だった。。。。
市や県の無方策にも呆れるが、もっとひどいのはやはり国だ。
ここにいると【棄民されている】のを如実に感じるよ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

Bunshunn31

折しも、この週に出た週刊文春(3/1号)の
【衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!】

という記事が話題になっている。郡山では本屋やコンビニからあっという間に文春が売り切れました。辛うじて入手できたので要約すると、

●6月に郡山市から北海道に自主避難した4歳男児と7歳女児の甲状腺に結節(しこり)が発見された。さらに成人女性一人がすでに甲状腺癌が確定している。

●文春の取材に対し、福島県立医大の山下俊一氏は、「福島で行った甲状腺検査の追加検査を行わないように」というメールを出したことを認めた。

というもの。
その後も診断をした札幌の医師が「事実と違う」と反論し、それに対して筆者のおしどりマコ氏が反論会見を行うなど、なんだかな~な状態。
確かに何が本当で何が本当でないかわからない【何か~ら何ま~で真っ暗ぁ闇よ~♪】状態ではあるが、現実にこの地に住んでいる身からすると、
無闇な安全論には同意できませんし、同様に無闇に不安を煽る記事にも同調はできません。

記事の中で?な部分は
1)今年2月の時点で「郡山市内で室内1.8μSV」、って記述がありますがこれはちょっと眉唾。郡山で室内で会合やるようなところでそんな所ねえだろ~。
麓山あたりの濃い所で自動車内とか、ならあり得るけど。
2)6月に北海道に避難するほど意識の高い家庭で、そんなに子供に県産ものを食べさせてるだろうか?

子供に甲状腺結節が見つかった親御さんの心配は想像できるし、そこに危機が近づいていると訴えたかったであろうことはわかるが、これでは文春お得意の煽り記事と言われても仕方ないでしょう。
僕自身も立場的には反原発ではあるけれど、これはいただけないと思うなあ。

いただけないついでにもう一つ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

震災から1年目に当たる3/11日に、郡山は開成山球場で
【原発いらない!3.11福島県民大集会】なるものが行われる。

http://fukushima-kenmin311.jp/#map

「大震災と福島原発事故1周年の節目に、県民の願い、要望を全国に発信し、国や東京電力に一層の取り組みの強化を求めるために、県民が総結集する集会を開催します。」とのことだが、東京からもわざわざバスで支援団体が乗り込んでくるとのこと。

・・・ちょっと待ってくれよ。
3/11に福島に押し掛けて反原発集会という神経が理解できない。
その日が命日になっちゃった人もいっぱいいるんだぞ。
無神経すぎないかソレ。

それに、押し掛けるべきなのは開成山球場じゃなくて東電本社じゃないのか?

地元では『反原発の奴らは目的のためなら福島が悲惨であってほしいのか』『福島を反原発のネタにすんじゃねえよ』『山●太郎うぜえよ!』的な人も増えてる。そういう反感を買うのは、それこそ体制側の思うツボだろ〜矛先はそっちじゃないだろーと。連中はみんな一体になって反原発になるのを怖れてる。

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